高すぎるプライドを捨ててありのままの自分へ
「プライド高い」ってホント損です。
私もなんちゃってプライド高い系の人間だったので、過去を振り返るとホント無駄のオンパレードだったなと毎度反省させられる記憶ばかり。(;・∀・)
「プライドが高い」=「意識高い系」だから別にいいんだと思っていたのは勘違いでした。
こうしてブログで自分をさらけ出すことで、少しでもムダなプライドがそぎ落とされるようにしています。笑
みんな自分をよく見せたい
ブログを始めた当初は、少しでもイイ生活をしている風に背伸びして書かなきゃいけないような気がしていましたが、それがいかに無意味であるか、書いているうちに気付かされました。
セレブではないし、ゴージャスな暮らしを見せつけたいわけでもない。
世の中の核心を突く実験台として、自分をさらけ出すことを決めたのです。
「本当に心地よい状態とは」、「必要なものとは」、「ためになる情報とは」、…。
ただ普通に生活したり、子育てするだけでも大変なことはたくさんありますよね。
使える情報であるほど、読んでくれる人が多くなるにつれて、助かる人が増える。
そのために書いているブログなわけであって、自慢しても意味がありません。笑
まずは自分の足元から見つめ直して、生活を改善することに。
持っているモノや部屋の飾りを眺めていたら、「コレいったい誰のために持ってるのかな?」っていうモノであふれていることに気付いてしまいました。
参考記事 見栄のために持っているモノはあなたを苦しめている 〜見栄を捨てる方法〜
自分にとって、持っていても意味のないモノを管理することは、結果的に自分を苦しめることでしかないことを身をもって実感したのです。
おそらくそんなことのために生まれてきたのではないし、モノのために生きたいとは思いません。
ありのままの自分でいれるようになって初めて、プライドも断捨離できた
捨てるのに一番厄介だったものは、紛れもなく「プライド」でした。
「先にプライドを捨ててありのままの自分になるのか」
それとも、
「全て捨ててありのままの自分になることでプライドが捨てられるのか」
結果的に、私は身の周りをミニマムにしてプライドを手放すことができました。
なぜ、最初にプライドを捨てられなかったのかというと、「過去の栄光」に自分を引き戻すモノが身近に存在している限り、無駄なプライド君たちが幾度となく沸いて出てきてしまっていたからです。
心の奥底で、深層心理が自尊心を失うのを恐れていたのでしょう。
そのたびに、
「コレを捨てたら自分が自分でなくなってしまうのではないか」
という葛藤を繰り返し、何度も思考停止に…。
しかし、ムダにプライドを呼び覚ましてしまう要因を処分してようやく、高すぎるプライドを捨てることができたように感じます。
プライドって「自分の見栄そのもの」だったことにも気が付きました。
過去の栄光の「証」を手放すことで、過去の自分全てを否定してしまうような気がしていたからです。
例えば、所有しているトロフィーや賞状など、生きていく上で何の役にも立たないことは頭ではわかっていても、実際にはなかなか手放すことは難しいですよね。
売っても1円にもならないし、置く場所や収納に困ります。
特に自分が死んだ後は、残されても家族が困り果ててしまうでしょう。
以前はトロフィーや賞状を飾った空間の前に立つと、
「そうだ!私はスゴいんだ!できる人間なんだ!」
と自分のモチベーションが奮い立つような気がしていましたが、過去の栄光たちをカタチにしたモノを磨いても何の意味もありませんし、ホコリが積もっていくだけです。笑
参考記事 小物や雑貨の周りに積もるホコリとの戦いを終わらせる
今は何かの機会に賞などをもらっても、その日のうちに処分しています。
置くとこないし。笑
写真を撮ってグーグルフォトにデータとして保存しておくこともできますからね。笑
参考記事 写真データの整理に消耗したくない 〜撮りっぱなしでOK〜
虚しさはほんの一瞬のみ。むしろK点超え。笑
過去の栄光全てを処分し終わったとき、
「あぁ、なくなってしまった…。」
と一瞬虚しくなりましたが、正直言って、K点超えした感覚の方が強くて、スッキリしてしまいました。笑
参考記事 「捨てのK点越え」がもたらす好影響
それに、自分の技術や功績自体がなくなってしまったわけではありません。
使うべき「その時」が来れば、「昔取ったナントカ」で、ちゃんと芽を出します。
しかもムダなプライド君たちは、もうどこかへ消えてしまったので、シンプルに
「そういえば、昔こっち方面に明るかったんだよな〜」
くらいの感じで、肩の力を抜いた状態で取り組めます。
何年もやってないのに、逆にパフォーマンスが上がっていることもあったり。
人間なんてそんなもんですよね。笑
結局、プライドなんて邪魔
私にとって、プライドはいらないものでした。
楽しいことは自然と継続できるし、継続によって才能さえも超えられることもわかっています。
それに比べて、プライドが高すぎると、とんだ勘違いを生んだり、ありのままの自分でいられなくなるのがオチです。
背伸びして「良く見せる」ことは、若干の嘘をつくことになりますから、そのビミョーな嘘を覆い隠すために、また小さな背伸びを繰り返してしまいますね。
この連鎖が積もったとき、「アレ?誰のためにやってるんだろ?」ってなります。
周りは客観的に見ているので、よく気付いているんです。
「あの人は、プライド高い人だから…」って。
結局損しているのは自分だけ。
まとめ
プライドは捨ててしまえばいい。
ありのまま生きることが、本物の自尊心を得ることにつながる。
多くを求めるよりも、自分の内なる声を聞く時間や空間を大切にしたい。(*´▽`*)
よい1日を♪