今を生きる勇気はあるか
オリンピックって、やっぱりいいですね〜。
羽生結弦選手の完全復活の滑り・・・、
感動しました。( ;∀;)
photoAC
ケガを乗り越え、前回よりも今回という強い意気込みで臨んだ平昌オリンピック。
自分の限界に挑戦し続ける強い姿勢がビシビシ伝わってきました。
今を生きる勇気
グサッと来ます。笑
最近自分の中でアツいテーマです。
どういうことかというと、
↓この言葉が胸に突き刺さったんです。
「私たちはいつも生きる準備に余念がなく、決して今を生きていない」
−ラルフ・ウォルド・エマーソン−
一生懸命保険をかけたり、使いもしないモノばかり溜め込んだり。
今を生きることに臆病すぎる気がしてしまいます。
もはや、「今」に集中していないとも言えます。
防災や防犯において、「もしも」に備えることは重要ですが、それ以外で、なかなかどうして後ろ向きになってしまうのか……。
今を生きるためには、明確に「勇気」が必要ということなのでしょうか。
あるいは、
お尻に火が付いたり、誰かに背中を押してもらわなければならないのでしょうか。
「押すなよ、押すなよ、……。
・・・。
押せよ!」
的な。笑
失う怖さも理解した上で・・・
臆病になる理由の1つとして、「失う怖さを知ってしまった」というのもあると思います。
例えば生命保険の死亡保証が代表的かなと思います。
今を生きるためにお金を使わず、自分が死んだ後に誰かが受け取るお金を準備するために、掛け捨てで大金を支払う仕組み。
人の命にかける保険なので、支払われる額が大きいため、掛け金も高いです。
私の夫も、数年前まで高い保険をかけていました。
当時の夫が言うには、「自分の父親を早くに亡くして大変だったから、家族に同じ思いをさせないように。」と。
えらいですね。
受取人は私だったので、とてもありがたいと感じましたが、同時にとても切なくなりました。
「今を生きること」を犠牲にしているようにも思えたからです。
保険は、将来に対する恐怖の裏返しとも言えるものです。
夫が経験した恐怖がトラウマとなり、夫に対して今を生きる勇気を少しばかり奪っていたのかもしれません。
すぐに解約してもらいました。
その分で、自分がやりたかったことや、新しい経験をするために使って欲しいと思ったからです。
人生は一度きり。
そりゃあ、生まれ変わることもあるかもしれませんが、その時はその時で、今の保険は使えませんし、溜め込んでいるモノは持って行けません。
結局、何が言いたいかっていうと、
今、使わないモノは要らない
ってこと。
物事1つ1つを手に取って向き合い、「今、必要か」を見極める精度を高めていけば、自ずと今を生きる勇気が湧いてくると信じています。
よい1日を♪
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