マキシマム(飽和状態)を自覚するまでミニマリズムは理解できない?
ミニマリストになる前はマキシマリストでした。
モノに溢れ、ストックに囲まれて満足する生活に憧れを抱いていた部分があります。
インテリアもアンティークを集め、「飾る」以外の用途がないモノばかり持っていました。
壁一面にサインプレートを貼ったり、隙間があれば見逃さない!みたいな。笑
・・・。
あの時、私の頭の中はどうなっていたのか……。
乗りもしない壊れた自転車をせっせと押して修理に出したり、時々使う家電が壊れたからと新しく買い直してみたり。
「有る」、「増やす」ことが当たり前で、「何のために持っているのか」、「何のために増やしているのか」に向き合って考えていませんでした。
いくら飾り立てても、「何か違うなぁ」って感じで、いくらモノが増えても本質から離れていくような感覚があったのです。
そんな時、
「よし!一回全部捨ててみよう!」
という極端なアイディアが頭に浮かんだことを鮮明に覚えています。
「飽和」(マキシマム)の状態から「ミニマム」(最小限)に目覚めた瞬間です。
マキシマムな状態に限界を感じた状態でもあります。
一種の「飽き」かも。笑
それに、富を追求し続けるとなれば、上には上がいるし、キリがありませんからね。笑
本当にやりたい事ができていないのなら、そこには何の意味もありません。
モノのために生きているわけではないのですから。
「少ない」「無い」に慣れるだけ
人間には、「慣れ」や「耐性」、「順応性」というものがあります。
これらは、まさに生きるための本能的な能力です。
「無い」ことに慣れれば、それが当たり前となり、
逆に「有る」ことに慣れれば、それが当たり前になる。
シフトしたい方向に慣れればいいだけの話であって、
そこまで難易度は高くありません。
いたってシンプルです。
まとめ
「多すぎる」と「少なすぎる」を経験することで、自分にとっての「ちょうどいい」を見極められるのかもしれません。
「ちょうどいい」は自分や周囲にとって、「難易度が下がる」ため、生活の負荷をやわらげることができます。
ミニマリズムは決して難しいものではなく、誰かに強要されるものでもありませんね。(*´ω`*)
よい1日を♪
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